201304.22

結果を受け入れる

Post by yoga beyond

今日、先月より新しく出来たヨガのアドバンス(中上級)クラス でした。身体のよく動く3名で少なかったため、予定より難しいチャレンジポーズをピークにしてみました。が、ちょっと難しかったようです^^; レッスン後に質問を頂きまして、ちょうど今日のレッスンのテーマでしたのでシェアさせて頂きます。

「ポーズが思うように出来なくて悔しかった」ということで、「ヨガ以外にも仕事や家庭で思うように出来ていないところが思い出されて瞑想でも混乱してしまった」ということでした。

やりがいあるポーズを練習していくと陥りやすいことです。

私たちはたいてい結果を求められています。会社では、ノルマがあったり目標が数字で出され、良い結果をだすために努力します。学生も勉強で、試験や入試や結果が目に見える形で示され、それは努力の成果であるとされます。目標に向かって努力して結果をだす。それがあたりまえという感覚ですが、ヨガの場合はその考えをとらないといけないように思います。

上級ポーズを練習していると「練習して出来なかったものが出来る→嬉しい→また目標をたてる→せれに向かって努力する 」こうなってきますね。でも競争社会にいて、リラックスしたいのにヨガでまでガツガツしなくてもいいんです。

目標に向かって努力することは悪いことではないです。あり程度は頑張る必要があると思います。でもポーズを出来るようにすることが目的なのではなく自分の心の動きを観察することがヨガの目的です。ヨガの目標は自分を知ることです。ポーズが出来なくて悔しい、出来て嬉しい、いろんな感情がクラスの中でも湧き上がってきます。こういう自分がいるんだ。と自分を理解してあげるといいです。このポーズが出来たとか出来ないとかの結果を求めずに、自分の心がそのあとどう落ち着くかどうかに意識を向けるようにします。目標があると頑張りやすくなりますから良いことです。しかし、執着しすぎると苦しみが生まれてしまうとヨガでは教えています。目標であったものも、こうしなくてはダメだ、こうでなくてはダメだという執着に変わってしまうことがあります。執着は苦しみになるので、その執着を手放すことで心が落ち着くという教えです。日常ですごく当てはまることが多く、私もこの教えに何度も助けられています。完璧にやらなくてはいけないとかマスターしなくてはいけないというのは執着です。出来なくてもいいんですよ。その執着を含めていろんな感情を観察してみましょう。逆に他の人がなかなか出来ない難しいポーズが出来たとします。出来た時に優越感を感じるかもしれません。そんな感情の動きもすべて含めて自分です。瞑想をした時にその自分が見えてきます。いい自分ばかりではなくよくない面が見えることもあります。それでも全部を受け入れる(理解してあげる)と心が落ち着いてきます。

そして、自分の力ではどうにも出来ないこともあります。ある程度努力したらあとは神にまかせまる感覚です。神と言うと宗教的に聞こえるので、結果を受け入れるということです。日常でもありますよね。自分の努力うんぬんじゃなくて、運とかタイミングとかどうにも出来ないこと。努力が実らなかったとしてもその結果を受け入れる心を養うのです。努力が実らなかった時でも、まだその実らなかった目標にしがみつくのは執着です。辛くなるだけです。「執着を手放して受け入れる」その練習だと思ってアドバンスクラスをやると日常に活かせるヨガになりますよ!仕事や家庭でも完璧を目指さなくてもいいんです。こうしなきゃという執着を捨てる練習がヨガを通して出来ます。

こう偉そうに書いてますが、実は私にも難しいんです。私は体育会出身ですので目標→努力→結果を出す があたりまえに染み付いています。そして、長年の習慣というのは抜けないもので、ヨガでも昔は体育会のノリだったなと思います。大好きですけどね、努力って^^; 執着にならない範囲で努力します!