消化によいポーズ
ヨガの消化にいいポーズをしてみました。
○マリーチャアサナⅡ
かかとをへそにおしつけることにより、腹部を強く圧迫することになり、臓器の働きがさらにととのい、強くなり、消化力が増す。「ハタヨガの真髄」より
○スプタ・ウィラーサナ(写真真ん中)
ヨガは基本は空腹時に行うものですが、「食後にやってもよいポーズである」と「ハタヨガの真髄」にも書かれています。他の本でもお腹に空間が出来て血行がよくなる分、消化を助けると書かれていますね。
やってみるも、気持ち悪い程食べ過ぎては効果がないみたいです^^;
そもそもヨガというかヨガと、関わり深いアーユルヴェーダでは、腹八分を推奨してます。お腹に前の食事が残った状態で、物を食べるのもダメで、前の食事を消化してから食べるよう勧めています。消化力(アグニ)をいかに高めるかにも気を使います。そんな中、さすがに満腹(以上?)に気持ち悪くなるほど詰め込んだ場合は、さすがのヨガも想定してないんでしょうね。
消化を助けるというのはあくまで腹八分くらいではないでしょうか。
食べ過ぎといえば、残り物を食べきるほかに、食べ放題です。私も旦那も貧乏症で、食べ放題、、、いやバイキングに行くと、ついつい食べ過ぎます。一通り味をみたいし、おかわりしたいし、苦しいところまで詰め込んでしまいがち。
バイキングの場ではお恥ずかしながらヨギとはいえません。ましてやヨガのイントラには見えないでしょう。食欲のままに食べてしまう点は直さなくてはいけませんね。
食べ過ぎてヨガでなんとかしようというのではなく、まず食べ過ぎないように食欲をコントロールするのがヨガですね!
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日々の祈り
産まれて以来、ずっと息子の写真だった携帯の待受画面をこれに変えました。そうするとその日に必要なフレーズがなんとなく目に止まります。どれも素敵だけど、特にこちらがお気に入り。
1今日一日は 幸福でいよう。よけいな欲や期待はもつまい。
3今日一日は 微笑みを絶やさず、やさしいまなざしで人に接しよう。嫉妬はすまい
4今日一日は 誠実で、穏やかな口調で話そう。批判や無駄なおしゃべりはすまい
8今日一日は 人のために役立つことをしよう。いやなことでも人を許そう
10今日一日は 話す前に二回かんがえ、行動する前に三回考えよう。活動的で賢くあるために
12今日一日は MYS(Mind your own self)、人ではなく自分のことに気をつけよう。
1期待しすぎたり欲を持つから、がっかりしちゃうんです。期待しすぎないようにするだけで、心が楽だ〜。ヨガの教えのまさにサントウシャ(知足)ですね。
3嫉妬ってやっかい。意外に嫉妬ってあるもんです。人を見て羨んでばかりでは自分の心が疲れますし、沈みます。これもサントウシャだなぁ。
4批判もしてしまいますよね。あれが悪いだの。批判もマイナスのエネルギーを出しますよね。しかも人を巻きこんで。自分のためにやめておこう。
8ちょっと嫌だなと思った時に「いやなことでも人を許そう」が頭をよぎり、もやもやが落ちつきます。すごくささいなことで、そもそもたいして悪くないことで自分がちょっと気に入らないことも、「許そう」っていう、自分が許してあげる的なちょっと上から目線なかんじがすごく効きます。「許そう」それだけで、自分の心が穏やかになります。
10思ったことをすぐ口にし、行動に出してしまうタイプなので、かなり難しい。でも出来たらいろんな失敗が防げるだろうな。
12人の悪いところってすぐ気付いたり気になったりします。でも人のことを言うのをやめて自分が気をつければ、これまた負のエネルギーの悪循環に陥らずにすみますね。
短くてわかりやすい文章がいいですね。またヨガの哲学系の本が読みたくなります。
セルフリアライシゼーション
あんまり当時はその意味を理解してなかったし、ヨガはその頃、ストレッチの延長的な感覚だったのですが(それでイントラなんて今思えば恐ろしい、、、)、ヨガにとって、とっても意義あるわかりやすい言葉だなとおもいます。
ヨガの哲学系の本には、自分とは何か?って書いてあるけど、おんなじこと。自分とは何かを探求することがヨガのテーマだけど、いきなり自分とは何かを探しましょうって言われたらひいちゃうよね。
カタカナにするだけでおしゃれになるのね。
ヨガとは自分と向き合うこと。
自分をよく知ること。
自分をよく知った上で、自分と歩み寄ってうまくやっていくすべを教えてくれるもの。
自分の行動パターンや思考のパターンがあります。
それをよく分かってあげる。
誰かに相談して話を聞いてもらうとすごく楽になりますよね。
分かってくれる人がいるだけで安心する、嬉しい。
それと同じです。
自分のことをよく理解してあげて、よき理解者になってあげる。
そうすると心が安心して落ちつくのです。
例えば、すごくイライラしてしまったとします。
なぜそうなのか。
あぁ、真面目で正義感が、強くてそのことが大目に見てあげれないからなんだなとか。
分かってあげると、行き場のなかった感情が、形をかえて発散されて、楽になるのです。
セルフリアライシゼーション。
自分の理解、自己探求です。
日常のことらでも気付きたいけど、まずはヨガのクラス中で、自分について気づけることを増やしてみましょう。
ポーズをしながら、ここが伸びてるな、呼吸がいまこうなってるな、あれ、まえよりこのポーズがやりやすいなとか。気づくことを増やしていくと、自然といろんな変化にクラス外でもささいな変化に気づけるようになってきます。
自分と違うからといって否定してはいけない
月曜日に、母(祖母にとっては娘)と行くはずだった一年に一度の病院に、母が旅行から飛行機で帰れず付き添えなくなり、私も仕事で、祖母一人で行くことになりました。タクシーで1.5キロほどの道を行き帰り。確かに四年前に手術をしてからは、一人で出歩くなんてあまりなく、おばあちゃんにとっては冒険でした。帰りが住宅地のため、タクシーの人に住所を言っても結構分からないで違うとこに連れて行かれちゃう。と心配するので、地図を印刷して、住所を書き、渡せば大丈夫と言いました。それでも、結構分からないんじゃないか(祖母)、大丈夫だよ、道間違っても少し高くなったとしても帰れるよ(私)、地図を渡すだけで大丈夫なのか(祖母)、タクシーの人なら地図見て分かるよ(私)、と三回ほどやりとり。それでも結構知らないで変なとこに連れて行かれちゃうことも、、、(祖母)。その時、私はイラっときて、その祖母の言葉を遮り、だから大丈夫だってば!!(私)と強く言ってしまいました。祖母にとっては不安で心細い冒険の前だったのに、しゅんとさせてしまいました。強く言った瞬間、反省しても遅かったのです。私は心配症とはほど遠い、おおざっぱで楽天的。基本的になんでもなんとかなると思っているタイプです。祖母の心細さや不安さを分かってあげられる視野の広さがなかったのです。自分と違うと、つい「なんでそうなの?!」と否定してしまいがちです。でも人はそれぞれ骨格や顔が違うように性質も気質もそれぞれ違うのです。それぞれ自分と違っても否定してはいけないですよね。尊重して寄り添えたら自分の視野も広がるはずです。 私の場合、イラっとして強い言葉ってパッと出ちゃいますが、そこをもうひとつ考えてから発言出来たらいいのにな。まず、イラっとくるのがなければいいのにな。持続したイライラはあんまりないんです。イラっのあとすぐ言葉で発散させるも、そこに自己嫌悪ってパターンがたまーにあります。それが瞬間のことなんです。魂を磨くのには時間がかかりますね。
まず、相手を尊重していれば、イラっが、こない。自分の心がバランスのとれたいい状態なら、相手を傷つけるような言葉(態度)も出さない。
家族に対しては甘えてしまってそうなるというのもあると思います。でもそれじゃダメですよね。すべてはひとつで、自分と他人との区別を作らないというのもヨガの教えです。
祖母は無事に一人で病院に行き、帰りはニコニコでした。よかった!