結果を受け入れる
「ポーズが思うように出来なくて悔しかった」ということで、「ヨガ以外にも仕事や家庭で思うように出来ていないところが思い出されて瞑想でも混乱してしまった」ということでした。
やりがいあるポーズを練習していくと陥りやすいことです。
私たちはたいてい結果を求められています。会社では、ノルマがあったり目標が数字で出され、良い結果をだすために努力します。学生も勉強で、試験や入試や結果が目に見える形で示され、それは努力の成果であるとされます。目標に向かって努力して結果をだす。それがあたりまえという感覚ですが、ヨガの場合はその考えをとらないといけないように思います。
上級ポーズを練習していると「練習して出来なかったものが出来る→嬉しい→また目標をたてる→せれに向かって努力する 」こうなってきますね。でも競争社会にいて、リラックスしたいのにヨガでまでガツガツしなくてもいいんです。
目標に向かって努力することは悪いことではないです。あり程度は頑張る必要があると思います。でもポーズを出来るようにすることが目的なのではなく自分の心の動きを観察することがヨガの目的です。ヨガの目標は自分を知ることです。ポーズが出来なくて悔しい、出来て嬉しい、いろんな感情がクラスの中でも湧き上がってきます。こういう自分がいるんだ。と自分を理解してあげるといいです。このポーズが出来たとか出来ないとかの結果を求めずに、自分の心がそのあとどう落ち着くかどうかに意識を向けるようにします。目標があると頑張りやすくなりますから良いことです。しかし、執着しすぎると苦しみが生まれてしまうとヨガでは教えています。目標であったものも、こうしなくてはダメだ、こうでなくてはダメだという執着に変わってしまうことがあります。執着は苦しみになるので、その執着を手放すことで心が落ち着くという教えです。日常ですごく当てはまることが多く、私もこの教えに何度も助けられています。完璧にやらなくてはいけないとかマスターしなくてはいけないというのは執着です。出来なくてもいいんですよ。その執着を含めていろんな感情を観察してみましょう。逆に他の人がなかなか出来ない難しいポーズが出来たとします。出来た時に優越感を感じるかもしれません。そんな感情の動きもすべて含めて自分です。瞑想をした時にその自分が見えてきます。いい自分ばかりではなくよくない面が見えることもあります。それでも全部を受け入れる(理解してあげる)と心が落ち着いてきます。
そして、自分の力ではどうにも出来ないこともあります。ある程度努力したらあとは神にまかせまる感覚です。神と言うと宗教的に聞こえるので、結果を受け入れるということです。日常でもありますよね。自分の努力うんぬんじゃなくて、運とかタイミングとかどうにも出来ないこと。努力が実らなかったとしてもその結果を受け入れる心を養うのです。努力が実らなかった時でも、まだその実らなかった目標にしがみつくのは執着です。辛くなるだけです。「執着を手放して受け入れる」その練習だと思ってアドバンスクラスをやると日常に活かせるヨガになりますよ!仕事や家庭でも完璧を目指さなくてもいいんです。こうしなきゃという執着を捨てる練習がヨガを通して出来ます。
こう偉そうに書いてますが、実は私にも難しいんです。私は体育会出身ですので目標→努力→結果を出す があたりまえに染み付いています。そして、長年の習慣というのは抜けないもので、ヨガでも昔は体育会のノリだったなと思います。大好きですけどね、努力って^^; 執着にならない範囲で努力します!
新しい環境
月曜日から給食が始まります。幼稚園で作っている給食でアレルギー対策もしてくれます。初日のメニューはカレーライス。ちょうどカレーライスの絵本を幼稚園で読んでくれて、同じ本をもらって帰ってきました。給食が楽しみになるよう幼稚園の配慮が嬉しいです。息子はカレーが好きなわけではないので初めてのカレー作りに挑戦しました。絵本を読んで自分で作ったら美味しかったみたいです。幼稚園でも楽しく食べてきてはやく馴染んで欲しいです。
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キッズヨガ
四月からママヨガのベビーとキッズを分けたので、キッズクラスで夏休みなどに子供が主役のイベントをやりたいと考えています。
それぞれの個性
73名3クラスですって。多いなぁ。入園式を見て思ったのは、それぞれ個性があるなぁということ。物怖じせず堂々と歌う子もいれば、ママと離れて大泣きする子もいる、なにもしゃべれずに固まる子もいれば、先生達の人形劇に大声でつっこみを入れる子もいる。陸人みたいに小さい子もいれば、大きい子もいる。写真はママと手を話して電車ごっこをしながら子供だけでホールに入るところ。前から二番目の不安げな小さいのが一月生まれのうちの子です。斜め後ろの大きい子は六月生まれだそう。頭ひとつ以上違いますけど?!同級生だなんて驚きです。
ヨガの世界(インドの思想)では人の個性や宿命は精子と卵子が結合したときに決まると考えられています。それぞれが生まれながらにして授かったそれぞれの個性。それぞれの個性を大切にしながらも幼稚園で、まわりとうまくやっていく協調性を身につけて欲しいです。楽しみでもあるし、さみしくもあります。でも息子は自分の所有物ではなく、一時預かっているだけなのです。自分の元を離れるのが当たり前なのだと言い聞かせる。なんかのヨガの哲学の本に書いてあったこと。簡単なようで私には難しい。自分が産んだら、自分のもののような気がしてしまう。陸人もママも試練だね。